音楽理論は物理ではなく心理から考える。64パッドで学ぶための前提

64パッドで始める音楽生活、4記事目です。

1記事目では 64パッドの概要 をまとめ、 2記事目では ギターやピアノと比べた時の手軽さ を整理し、 3記事目では 最初の機材選びと音を出すところまで を扱いました。

ここまでできたら、少しずつ「実際に演奏する」ところに進みたいんですが、第一回でも書いたようにこのシリーズは「理屈っぽい」ことをウリにしたシリーズです。

「感覚」で出来ない人が、ちゃんと音楽の理屈を理解して、理論的に、段階的に音楽のレベルをあげていくことを目標にしています。

(そして、そういうことが好きな人ほど「パッド」という道具と相性がいいと思っています)

なので、今回は「音楽理論」の話をしようと思います。

音楽理論は「物理」ではなく「心理」の話

「音」は空気の振動ではない

「音」とはなんなのか?

こういう話をすると、多くの理系な人々は「空気の振動」だと答えます。

これは、半分は正解なんですが、実は正確ではありません。

特に「音楽」における「音」という意味では不正解。

「空気の振動」というのは私たちが感じる「音」ではありません。

空気の振動は正確には「音波」です。この音波が人間の鼓膜を揺らし、それが耳の中にある耳小骨を揺らし、その揺れがリンパ液との作用によって電気信号に変換され、その聴神経の電位を脳が認識してはじめて「音」になるわけです。

音楽っぽい表現をするならば、マイクやギターの音は、そのままではコンピュータは認識できません。ここでオーディオインターフェイスを使って信号を変換してやるように、空気の振動を「耳」が電気信号に変換することで人間が認識できる「音」になるわけです。

つまり「音の研究」っていうのは物理学という理系の学問ではなくて、空気の振動を人間がどう感じるか、という「心理学」(文系)で研究される分野なんですよね。

人体の構造だとか、空気が振動する仕組みまでは「理系」なんだけど、音が人間に「どう聞こえるのか」という部分に関しては、理系的なものではなく文系的な学問分野。

そう考えると実は「音楽理論」というものの見え方が変わってきます。


なお、今回の話は、かなりの部分が私が以前Podcastで話した部分を土台にしています。よりマニアックな話にご興味をお持ちいただけたら、こちらのPodcastも聴いていただけると、もう一段階音楽の面白さを感じていただけるはずです。

参考

BC076 『音律と音階の科学 新装版 ドレミ…はどのように生まれたか (ブルーバックス)』 - by goryugo

BC109『脳と音楽』 - by goryugo - ブックカタリスト

BC112 『脳と音楽』後編 - by goryugo - ブックカタリスト

音楽理論とは「人間がどう感じるか」の統計学

じゃあ音楽理論とはなんなのか。

音楽理論は「理論」という名前がついているけれども、基本的には「人間がどう感じるか」を整理したものです。ある空気の振動のパターンに対して、人間はそれをどんな風に感じるのか。

色んな人の感じ方をまとめて整理して、そうした経験を何百年と積み重ねてきて「大抵の人はこう感じる」というのを言語化して、整理したもの。大雑把に言うとそれが音楽理論です。

だから音楽理論の「正しい」とか「間違っている」という言葉は、理系的な観察から再現性を獲得する学問の「正しい」とは少し感覚が異なります。

観察の相手は自然界ではなく人間。(だから「人文学」の「文系」になる)

「大抵の人はこう感じるとしても俺はそうではない」

そういうことが、理論上は確実にありえます。(それが、好みというものでもある)

ただ同時に、我々人類という生物は、一見すると皆大きな違いがあるように見えるが、実は誰もがほとんど同じ仕組みで動いている(人類の遺伝子の99.9%はすべて同じだと言われている)わけなので、やっぱり「大抵の人は感じ方が同じ」なのは、ある程度は正しい。

なので、結局のところ「理論を知ってると理解が早い」んですよ。

だいたいの人はこう感じるという経験を、人類は数百年かけて「音楽理論」として整理してきた。

音楽理論は「外国語の文法」に似ている

文法(理論)があれば、誰でも話せるようになる

なので、音楽理論を学ぶというのは見方を変えると「外国語を勉強する」のと同じようなことだとも言えるのです。

「ものすごく音楽の才能がある人」は、理論なんて勉強しなくても、音楽を聴いてるだけでいれば勝手に「いい感じに話せる」ようになってしまいます。多分これは、私たちが子供の頃に自然に日本語(母国語)を聞いて覚えてしまったのと同じような感覚なんだと予想します。

ただ、多分この記事を読んでいる人の大半は、残念ながら「ものすごく音楽の才能がある人」ではなかった可能性が高い。

だから、私たちは「外国語を学ぶように」音楽を学んだ方が、結果的には早く「使える」ようになる。

音楽理論は、イメージとしてはそういう「文法」が整理されたものと捉えたらいいと思います。

そして音楽も外国語と同じように「ことば」だとすると、書き言葉(楽譜、MIDIデータ)と話し言葉(音楽そのもの)は違います。さらに、言語自体もたくさんあれば(ロック、ポップス、ジャズ、クラシック、ブルース……)、そこに方言があったり(ブルースロック、ハードロック、メタル……)、時代と共に言葉自体が変化したりもするのです。

そしてやっかいなのが、大抵の「教科書」は「クラシック」や「ジャズ」をベースにした教科書ばかりで、ロックやポップス、ソウルやファンクなんかはあまり「教科書」として整理されていないことが多い。

古い教科書には「いまどきそんな言葉誰も使わねーよ」なんて例文が書かれている可能性も高いし、お上品ではない、新しい言葉ほど「文法では説明できない」ことが多いです。

たとえば言語の場合「象は鼻が長い」の主語はなんなのか?言語学でも未だに意見が分かれていて「答え」はでていません。

「ぴえんを超えてぱおん」とか「推し活」とか、こういうのを文法が正しいとか間違っているなどという概念で説明しても意味がありません。

なので、当然ながら「教科書だけ」では現代に通用する音楽ができるようにはならない、というのも事実だし、それぞれのジャンルにあう「単語」「イディオム」「フレーズ」をたくさん覚えることも、理論を学ぶことと平行して学んでいく必要はあります。

文法だけでは伝わらない「大阪弁のニュアンス」が一番大事

特に音楽の場合、リズムやイントネーションといった要素は言葉での説明が本当に難しいにもかかわらず、それがズレるだけで、明らかに「変」になってしまうのです。

東京の人が関西で「ニセ関西弁」を話して「お前の言葉は関西弁じゃない」って言われる。なにが違うのか、言葉で説明するのはめちゃくちゃ難しいけど、確かに違うことはわかる。そして、その違いを真似できないと「ぽい感じ」にならない。

漫才のツッコミ役は、だいたいどんな場面でも「なんでやねん」って突っ込んどいたら面白くなる。ただし、その強弱とか間の取り方は、言葉で説明できない難しさがあり、そこにツッコミの奥義がある。

ツッコミには「なんでやねん」しか言わないけど、その使い方が上手過ぎるから超面白いツッコミが出来る人もいるし、フレーズやパターンが多彩なことで面白さが評価される人もいる。

なんとなく現在では「多彩」であることが高く評価されがちな雰囲気はありますが、音楽の「価値」はそれだけではないのです。

音楽でもそういう、言葉で説明しきれない超細かい部分、リズムやイントネーションという「細部」にこそ、らしさ、かっこよさが潜んでいます。

だから、まじめにそれらしいかっこいい音楽を作ったりを演奏しようと思ったら、最終的には理論を超えた「言葉で説明しきれない部分」に重きを置かなければならないようになってきます。

結局のところ、理論も、理論以外のことも、どっちも大事で、偏って覚えるのではなく、上手にバランスを取ることです。理屈を知ってた方がラクなことは多いけど、理屈だけで説明できないことはいっぱいある。

でも同時に、人間が感じることはみんなだいたい同じなので「こういう感じだと安心するよねー」とか「こういうのは気持ち悪いよねー」というのにはある程度パターンがあって、そのパターンは思ったほどは多くない。

なによりも、音楽を始めたばかりの段階では「理論」を少し覚えるだけで、自分でコードを見れば「ぽい感じ」が簡単に再現できるようになる。

細かなイントネーションや間の取り方というのは、ぽい感じを十分に満喫してから手を付けていっても遅くない。

いってみれば「料理の学び方」と同じようなものとも言えるかもしれません。料理初心者がいきなり「隠し味」を入れても、ほぼ確実に失敗するんですよ。そういう独自アレンジをするのは、まずは1回レシピ通りにきっちり作ってみて、基本の味を理解する。自分なりのアレンジや隠し味を加えるのは、その後からでも十分に間に合うんです。

ということで、次回はその「ぽい感じ」にするために知っておきたいごく基本的な音楽理論(4和音の基本構造)について触れてみたいと思います。