ノートを完成させないほうが育つ
ノートは、一度に完成させなくても構いません。
書いた直後は、そのとき頭の中にある前提を使って読んでいます。少し時間を置くと、同じ文章なのに、論理の飛躍や説明不足が見えることがあります。
時間が、見え方を変える。
だから最初の日に仕上げ切るのではなく、再訪するたびに手を入れます。
「育てる」は手作業
「ノートを育てる」という言葉だけでは、何をするのか分かりません。
分ける。つなぐ。1行足す。タイトルを直す。
実際にやるのは、そういう小さな作業です。一つのノートに二つの話が混ざっていると分かったら分ける。関連する考えが後から見つかったらリンクする。読み返して説明が足りなければ加筆する。
一度決めた形を守る必要はありません。今の理解とずれたなら、ノートの方を変えます。
レビューのたびに1行だけ足す
見返すたびに、大きく書き直す必要はありません。
1行だけ書き足す。タイトルを少し具体的にする。関連するノートを一つつなぐ。
それで十分なことがあります。
逆に、1行追加しようとして何も思い浮かばないこともあります。そのときは「今の形で十分なのか」「別のノートと統合するのか」「残す必要がないのか」を考える材料になる。
何も足せないことまで、レビューの結果です。
ノートが増えすぎてもそれだけでは失敗ではない
小さなノートを書き続ければ、数は増えます。長く続ければ、全部を頭の中で把握したり、きれいなフォルダやタグだけで管理したりすることは難しくなります。
ここで「整理できていない」と考えると、増えたノートを管理する仕事そのものが重くなる。
ノートの氾濫は、必ずしも失敗ではありません。
未整理のノートを抱えたままでも、必要な断片を見つけ、読み直し、必要ならつなぎ直せるなら運用は続けられます。
完成したノートを増やすのではなく、未完成のまま使い続けられるノートを持つ。
見返した日に一行足す。必要なら分ける。関係が見えたらリンクする。アトミック・シンキングで「ノートを育てる」と呼んでいるのは、この手作業です。